2002年1月24日(木) |
「自分の禁止事項を作る」
「男の美学」という。
大人の男がしゃれたレストランでフランスのワインを飲んだり、イタリアのブランドもののスーツを着こなしたりするときによく使われる。「粋」「おしゃれ」「ダンデイズム」も似たような言葉だ。「違いがわかる男」というのもある。どうもこういう言葉に出会うと、照れ臭くなる。高級ホテルのバーできれいな女性とカクテルを飲んでいるのが「男の美学」だなどといわれると、いや、ホームレスのおじさんが朝の公園で鳥や野良猫にエサをやっている姿こそ「男の美学」だと反論したくなる。
ブランド製品で身を固めるなど「男の美学」どころか「成金趣味」とほとんどかわらない。漫画の「美味しんぽ」に、食通が有難がるフォアグラより、大衆酒場に置いてあるあんきものほうがずっとおいしいと説く一篇があったが、こういうこだわりのほうがむしろ「男の美学」ではあるまいか。
女性の服装を見ても、高級ブランドを着ているよりも、古着屋で買った服をうまくコーディネイトさせて着ているほうがはるかにファッション・センスを感じさせる。イタリアやフランスのブランド品を持っている女性より「このシャツ、ユニクロで買ったの」といっている女性のほうがずっと可愛い。
思うに「美学」とは、安易に世の流行に身をまかせないことではあるまいか。「男の美学」とはいってみれば「やせ我慢」「武士は食わねど高楊枝」の生き方である。
みんながやっていることでも自分だけはしない。「美学」とは何かをすることではなく何かをしないことである。そういう禁止事項を自分のなかに作っていく。
村上春樹は何かのエッセーで、文章を書くに当って自分は「悪口書かない、自慢書かない、言い訳しない」のしない三原則を決めていると書いていたが、こういう禁止事項を自分に課すことこそが「美学」だと思う。
とくに現代のように"なんでもあり"の時代には、自分でしっかりと「俺は、こういうことはしない」と心に決めることは大事なことだと思う。
何も大それたことでなくてもいい。たとえば物書きなら「生きざま」「ど真ん中」「独断と偏見」といういまや当り前になった言葉を自分は絶対に使わないと心に決める。あえて自分を窮屈な立場に置く。そうすることで心が引き締まる。
映画批評をひとつの仕事にしているので週に一、二度試写室に出かける。最近の試写室のマナーの悪さは目にあまる。映画が始まってから平気で遅れて入ってくる。映画会社の人にあらかじめ席を取っておいてもらい、始まる直前に騒々し<駆け込んでくる。
そんな乱れた試写室のなかでいつも頭が下がるのは大ベテランの評論家、双葉十三郎氏。どんなときでも三十分前にはきちんと来ておられる。
こういう大先輩を見るとはじめて「男の美学」という言葉を素直に使いたくなる。
(次回は作家の高樹のぶ子さんです)いつだったかの読売Weeklyの連載「男のシルエット(6)」(川本 三郎)より。
ちょっと古いので、「ユニクロ」の服を選ぶ女性が可愛いことになっているが、このテーマからすると、すでにユニクロを脱した眼を持っている必要があるのではないだろうか、と思った。
(C) 2001, Rei Kirishima